社会人になりたての頃を振り返ると、自分は「休み方」がまったく分かっていなかったと思う。
休みの日は確かにあったし、有給も制度としては存在していた。
それでも、きちんと休めている感じがしなかった。
疲れているのに、休むのが下手だった。
何もしないと落ち着かない一方で、何かをすると余計に疲れる。
当時はそれを「社会人ってこういうものなんだろう」と雑に受け止めていた。
今思えば、あれは体力の問題ではなかった。
悩み方と休み方を知らなかっただけだったと思う。
この回では、新人の頃に実際に困ったことと、それにどう向き合い、どう考え直したかを書いていく。
すでに働いている人には「あるある」と思ってもらえればいいし、これから働く人には「そんなことが起きそう」と思ってもらえたらちょうどいい。
少し砕けた感じで、楽しんで読める内容にしたい。
目次
休んでいるはずなのに、ずっと仕事のことを考えていた
社会人になって最初に困ったのは、休みの日なのに頭がまったく休まらなかったことだった。
土日になっても「あれは大丈夫だったかな」とか「月曜に何か言われたらどうしよう」といったことをずっと考えていた。
だからといって、仕事を進めるわけでもない。
パソコンを開くほどの気力はないが、完全に切り替える勇気もない。
結果として、何もしないのにずっと消耗している状態になっていた。
当時は「真面目だから仕方ない」とか「責任感がある証拠だ」と言われることもあった。
ただ正直なところ、そんな立派な話ではなかったと思う。
単純に、どう悩めばいいのかも、どう休めばいいのかも分からなかっただけだった。
休む=何もしない、と思い込んでいた
今振り返ると、「休む」という言葉に対するイメージが極端だった。
休むなら完全に何もしない。
仕事のことは一切考えない。
ちゃんと切り替える。
そんな理想像を勝手に作っていた。
それができない自分は、休むのが下手なんだと思っていた。
でも実際には、何もしない時間に慣れていなかっただけだった。
学生の頃やバイト時代は、疲れたら寝ればある程度リセットされた。
社会人になると、仕事が線でつながる。
昨日の続きを今日やり、今日の判断が明日に影響する。
この状態で「完全に忘れる休み」を目指すと、かえって苦しくなる。
当時の自分は、その構造を理解していなかった。
だから休み方に正解を求めて、勝手に疲れていたのだと思う。
悩みを休みの日に持ち込みすぎていた
休めなかった理由は、もう一つあった。
悩みの整理を、すべて休みの日にやろうとしていたことだ。
平日は忙しく、判断も多く、余裕がない。
だから「土日にちゃんと考えよう」と思っていた。
ただ、悩みは整理しないと減らないし、整理するにはそれなりのエネルギーが必要になる。
結果として、休みの日にまで頭をフル回転させ、月曜を迎える頃にはまた疲れている。
これを繰り返しているうちに、「休み=回復」という感覚がなくなっていった。
コラム|悩む時間と休む時間を分けたら、少し楽になった
ある時期から、休み方を変えたというより、悩み方を変えた。
悩む時間を、平日の仕事中に少しずつ作るようにした。
といっても、長時間考えるわけではない。
作業の区切りで「これ、何が一番引っかかっているんだろう」とか「今日できるのはどこまでだろう」と自分に聞くだけだ。
全部の答えが出なくてもよかった。
言葉にするだけで十分だった。
そうすると、悩みが「ぼんやりした不安」から「扱えるもの」に変わっていった。
平日に少しずつ悩みを言語化できるようになると、休みの日に考えることが減っていった。
休みの日は、何かを解決する日ではなく、回復する日にしていいと思えるようになった。
この切り替えができたことで、ようやく休んだ気がするようになった。
ちゃんと休めるようになったのは、悩み方を覚えたあとだった
今振り返ると、ちゃんと休めるようになったのは、体力がついたからでも、仕事に慣れたからでもなかった。
悩みを自分の中で扱えるようになったからだと思う。
新人の頃は、悩みが全部一気に来る。
仕事の進め方、人との距離感、評価されているのかどうか。
それを全部一人で抱え込んでいた。
でも悩みには種類があり、今考えなくていいものもある。
それが分かるようになってから、休むことに対する罪悪感が減った。
まとめ
社会人になってすぐの頃、ちゃんと休めなかったのは、自分が弱かったからではない。
悩み方を知らなかっただけだ。
困ったことにどう向き合うか。
どこで考えて、どこで手放すか。
それを誰も教えてくれなかっただけだと思う。
もし今、休んでいるはずなのに疲れているなら、それは珍しいことではない。
新人の頃は、そうなりやすい構造の中にいる。
少しずつでいい。
悩み方を覚えていけば、休み方も一緒に上手くなっていく。

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