新人の頃、自分の意見を出すのが怖かった、という話は、かなり多くの人が心当たりがあると思います。
会議で「どう思う?」と聞かれて言葉に詰まったり、Slackで意見を求められて画面の前で固まったり。
今振り返ると、あれは能力不足というより、どう振る舞えばいいのかが分からなかっただけなのに、当時はそれを「自分がダメだから」だと思い込んでいました。
社会人になったら、自分の考えをちゃんと持って、ちゃんと発言しないといけない。
そんなイメージを、入社前からどこかで刷り込まれていた気がします。
だからこそ、意見を求められた瞬間に、正しいことを言わなければいけない、場を壊してはいけない、変なことを言って評価を下げたくない、という考えが一気に頭を占領します。
結果として、何も言えなくなる。
あるいは、無難すぎることだけを選んで口にして、後から「それ、言う意味あったかな」と一人反省会を始める。
新人の頃の「意見が怖い」は、だいたいこのあたりから始まっていました。
この回では、「意見を出すのが怖かった」という困りごとそのものと、そこにどう向き合って、どう考え直してきたかを、少し砕けた目線で整理してみます。
今まさに同じところで止まっている人にも、「ああ、そういう構造だったのか」と思ってもらえたら嬉しいです。
正解を言わなきゃいけないと思い込んでいた
最初に詰まったのは、「意見=正解を言うこと」だと思い込んでいた点でした。
会議やレビューで意見を求められると、頭の中では常にテストが始まっていました。
この場で正しい答えを出せるかどうか、評価されるかどうか、その一点に集中してしまっていたのです。
でも、現場で求められていたのは、必ずしも正解ではありませんでした。
むしろ、判断材料が足りない状態で、いろいろな視点を集めたい、認識のズレを早めに見つけたい、という意図のほうが多かったと思います。
それなのに新人側は、「間違えたら終わり」という前提で構えてしまう。
このズレがあると、意見を出す行為そのものがリスクに見えてきます。
怖くなるのは、かなり自然な流れでした。
当時の私は、「自分の意見を言えない=主体性がない」と思われることも怖かったです。
だから無理にひねり出して話してみて、反応が薄いと余計に落ち込みました。
言ってもダメ、言わなくてもダメ、という感覚に陥ると、だんだん口を開くタイミング自体が分からなくなっていきます。
今思えば、ここで一番苦しかったのは、「どういう種類の意見が求められているのか」を誰も教えてくれなかったことでした。
正解なのか、仮説なのか、違和感なのか、確認なのか。
全部ひっくるめて「意見」と呼ばれていたから、全部同じ重さで受け止めてしまっていたのです。
「意見を言う=責任を取る」だと思っていた
もう一つ大きかったのは、「意見を言うと、その責任を全部自分で背負うことになる」と感じていたことです。
新人の頃は、立場も弱く、経験も浅い。
そんな自分が口を出して、もし話が変な方向に進んだらどうしよう、という不安が常にありました。
この不安は、かなり多くの若手が感じています。
だからこそ、「詳しい人が言えばいい」「決める立場の人が判断すればいい」と、一歩引いた位置に留まりがちになります。
ただ、現場での意見交換は、責任の押し付け合いではありません。
多くの場合は、「今この時点で見えている材料を共有する」という行為に近いです。
それでも新人の頃は、そのニュアンスが分からず、「言った瞬間に確定する」と思い込んでいました。
あるとき、勇気を出して意見を言ったあと、「それは一案として置いておこう」と軽く流されたことがありました。
正直、少し拍子抜けしました。
あれだけ緊張して出した言葉が、そんな扱いで終わるのか、と。
でもこの経験が、後から効いてきました。
意見は、必ずしも結論ではない。
場に置かれる材料の一つにすぎない。
そう理解できたことで、意見を出す行為の重さが、一段軽くなった気がします。
意見が怖かった本当の理由に気づいたとき
しばらく経ってから、「意見が怖い理由」は、評価や責任だけではないと気づきました。
本当に怖かったのは、「自分が何を考えているのか、うまく説明できない状態」で口を開くことでした。
頭の中では何となく違和感がある。
でも、それを言葉にしようとすると、うまく整理できない。
そのまま話すと、自分でも何を言っているのか分からなくなる気がして、怖くなる。
ここで初めて、「意見を言う前に、自分の考えを少し整える時間が必要なんだ」と分かりました。
正解を作る必要はなくて、今どこが引っかかっているのか、何が分からないのかを言葉にできればよかったのです。
「ここが少し気になります」「前提を確認したいです」
このくらいの粒度でも、立派な意見でした。
それに気づいてから、発言のハードルは一気に下がりました。
今なら新人の自分にこう伝える
もし新人の頃の自分に声をかけられるなら、「意見は完成品じゃなくていい」と伝えたいです。
途中の考えでも、違和感でも、確認でもいい。
それを場に出すことで、次の材料が揃っていきます。
意見を出すのが怖いと感じている人は、だいたい真面目です。
場を壊したくないし、迷惑もかけたくない。
だからこそ、慎重になりすぎて動けなくなる。
でも、現場は思っているほど繊細ではありません。
むしろ、黙っているほうが困ることも多い。
そのことに気づくまでに、私は少し時間がかかりました。
新人の頃に知りたかったのは、「意見を言うこと」よりも、「意見の扱われ方」でした。
言ったからといって即評価が決まるわけではない。
言ったからといって責任を一人で背負うわけでもない。
そう分かっていれば、もう少し楽に話せていた気がします。
今、自分の意見を出すのが怖いと感じているなら、それはおかしなことではありません。
ただ、その怖さの正体を一つずつ分解していくと、案外、向き合えるものだったりします。
当時の私がそうだったように。

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